3/20

最近はアプリのGooglechromeで流れてくる心理テスト等の記事を読み漁っている。心理テストは体感8割ほど当たっていて、思ったより面白い。人というものは当てになるかもわからないのに気になってしまうものなのだろうと感じつつ。

内容は主に今の自分に関連する記事を中心に。例に挙げると「心にダメージ度がわかる」なんてものがあったが、自分が選んだ回答はダメージ度90%だった。回答の中では一番高い。まあ、そうだろうな。今の自分の精神状態は安定してるとはとても言えないし、むしろおかしい。

合っていて安心してしまった自分がいる。「もし、大したダメージじゃないなんてただのネット記事に言われてしまったらどうしよう。」という思いが不安を誘っていた。

結果で安心してしまったが、問題はなにも変わらない。日に日に加速する一方だ。アドバイス的なものもその記事で一緒に書いてあったが、そんなこと言われてもどうしようもない。そんなアドバイスだった。まあ、記者は俺のことを何も知らないのだから当然ではある。

自己解決する前に自己崩壊を起こす方が早いだろう。今までのように自分だけで解決できるなら、ニートになって2年も経つ間に、とっくに立ち直っているはずなのだから。

 

3/19

はぁ、まただ。過去の行いを再び思い出しては強く羞恥心を感じるというやつ。こういう現象は何というのだろうか。まず、名前はあるのか。似ているとすれば「フラッシュバック」辺りか?

どうしてあんなことしたんだと過去の自分を責める。言動は今と昔を比べてもなかなか沿わず苦しいものだ。思い出すたびぐっと気が重くなる。

自分のことを嫌いになりそうだ。最も人に対して何かしたというより、俺自身が自分のしたことで恥ずかしいと思っていることが多いが、決して人に話そうなどとは思わない。できれば墓場まで持っていきたい。

そのくらい気持ちの悪いことをした実感を今になって感じる。

それに人に対してのそれはその場で修正したり、反省して次に生かそうという前向きな答えになることが多い。それでも後々悔いる経験もあったが。

しかし、自分のこととなればどうにもしにくい。自分で受け入れるか許さねば収拾がつかないし、誰かに知られたとなったら傷つくのは自分で、印象が悪化するのは自分だけである。いっそ誰か信頼できる人物か笑い話にしてくれる人物に懺悔でもすれば少しはマシになるのかもしれない。

当時の自分はどうにも思いとどまったり、一度立ち止まって考えることを一時的にアスれていたらしい。幼さというかそういう時期だったのか。どちらせよそういうことは今後注意深く気を付けなければと思った。

3/18

今日母は俺の昼食を用意してきて、「遅くなってごめん。」と一言謝られた。その後、俺がトイレから帰るとと今度は味噌汁を添えて、「いつもありがとう。」とまた一言。

母さんは何も悪くない。俺は優しさを捨てた。感謝されるいわれはない。

だが、そこで何も言わないのは流石に出来なかった。唯一残された良心が許さなかった。こちらも「こちらこそ。」と一言。

最近の俺の様子や昨日父が「元気ないな。」という俺への質問から母は俺を気にかけたのだろう。優しさは伝わる。親として家族としての愛はわかった。

だが、それでは俺は救われない。人は言ったことより言われたことのほうが記憶している。一度きりの対話でも印象的であれば、それは心に残り続ける。刻み込まれてしまった傷は例え相手が家族や友人であっても忘れることは難しい。

別に俺が家族からあたりの強い言葉で攻撃されたことはない。でも、何度も理解されなかったことや否定されたことは日々知らず知らずのうちに蓄積されていった。それは俺の心の中で「どうせまたあんなことを言われて終わる。」「理解なんて得られない。何度言っても同じだ。」と変換されていく。それがある限り、俺の心を癒し、突き動かすには足りない。

暖かさや幸せの気持ちはそう簡単に与えられるものではない。俺だって今まで色んな人に優しさを向けてきたつもりだが、その人を救えたとはっきり言える自信はない。

俺がこの状況を打開するには足りないものも必要なものも多すぎる。親には申し訳ないがすべて事実で正直だ。俺の傷は深すぎる。心は儚く弱々しく、力は未熟で不十分すぎる。残念だがもう遅かった。もう俺は頑張れない。壊れている。あとは暴走するか死ぬかのいずれか。

夕飯時、豆腐を茹でていると突然「ギュン!」と胸を重く鋭い感覚が襲った。直前によぎったのは「切ない」というイメージ。それ以外にもあらゆる感情が混ざっていた。

具体的には、誰かが相手の理想や魅力を感じるところを語り合っているとき。それに自分が当てはまる節があったとして、誰かから好意的な目を向けられる可能性があったとしても、社会不適合者であること、一人で生きていく力がないことがいつも足を引っ張る。同時に切なさや悔しさや寂しさが一気にやってくる。というイメージ。

我ながら実に情けない。

その感覚に襲われた瞬間は実際に胸のあたりがグッと痛んだ。その後もしばらく動悸が走り、変な咳が出たり、過呼吸のようにもなった。その間も家族には気づかれないように必死に抑えこもうとしていた。何も言われなかったが、気づかれていたかもしれない。

しかし。自分でも驚いた。まさかここまでだったなんて。

誰かさんへ

もし世界のどこかに俺に近い人格、人間性のやつがいるなら声を大にして言いたい。

  • 己に厳しく、他人に甘い。
  • 周りがどれほど汚い人間になっていこうとも決して影響されず、自分はただまっすぐ、素直でいようと頑張る。
  • ずっと強くなりたくて、強く生きようと必死になる。
  • 何か言われたり、恥をかいては心に傷を作り、治せない傷は自分で泥を塗って誤魔化す。
  • 過去の記憶がよみがえるたび頭を抱える。
  • 人に向ける優しさや情はいつも独りよがりで、どこかで返ってくることも他人から向けられることもない。
  • 自他問わず、真摯に向き合うが心を通わせる同志はなかなか現れない。
  • ネットで醜態を晒す人間や一向に自身と向き合わず逃げる人間を見て、勝手に失望し、嫌い、結局人間不信に。
  • いろんな人からの助言や鼓舞がなかなか響かず、もの足りなくなる。
  • 過去の反省から謙虚に生きようとしたが、何もない自分にとっては卑下にしかならない。
  • なりたい自分や理想を追い求め続けたが、現実は冷たく残酷、認めたくなくて無理をする。
  • 無理を続けた結果、抱え込んだ気持ちがどんどん溜まって膨らんで、自分を押しつぶしてくる。
  • 余裕がなくなってくると自我だけは守りたくて、ついに優しさを捨てる。
  • 壊れて狂って、誰かに手を出してしまう前に早く消えてしまいたいと思う。
  • これ以上苦しく辛いのは嫌だから、いつか来る死をまだかと待ち続ける。

こんな俺のような考え方も生き方もするな。こんな思いを背負うのは人ひとりでは不可能だと思う。俺も例外じゃない。やめたほうがいい。

出来るだけ気楽になれるような頑張りをしてくれ。根詰めることが当たり前にならないでくれ。根詰めて上手くいくやつは元からセンスがあったり、ポテンシャルの高い人間かもしくは、助けて支えてくれる頼れる人間が近くにいるやつだけだ。運が悪いとどちらにも当てはまらない。

今の世界、人間性が良くなくたって評価される。隠すことだってできるし、他に突出することが一つでもあれば評価はされる。逆にいくら人間性や人格が良くたって、それだけじゃ評価されるとは限らない。何か得意なことで注目を受けて、はじめて内面を評価されたりするのだから。

高校時代、年目標で掲げた「人間性と社会性を磨きたい。」というテーマが年配の先生に褒められたことがあった。当時は正直に嬉しかったし、ちゃんとやる気もあった。

でも、実際どうだ?結局、社会性は受験に失敗して以降どんどん損なわれていったし、人間性だって評価されないまま、だんだん風化していった。今では一人家でうずくまることしか出来ない。ホントは今まで無理してただけで人間性も社会性も元々大したことなかったのかもしれないが。

だから、俺のようになるな絶対に。俺みたいな人格で俺みたいな惨めな人生を味わうつもりなら、いっそ生まれてこないでくれ。俺のような人間も人生も俺だけでいい。

俺の言ってることが理解できる人、または受け入れられる人は多分良くも悪くも普通ではないと予想する。

分かる人に向けて伝えたい。余計なお世話なんて思う強い人もいるかもしれない。

必要とする人に伝わってくれると、理解してもらえるとうれしい。その人のためになるかもしれない。そしたら俺も少しは救われる....かもしれない。

これを見る機会が回ってくるかは賭けになるけど。

しがない惨めで寂しい青年より

 

3/17

ああ、煩わしい!何故こんなにも俺をイライラさせることがある!親に23日散髪に行くと言われたが、わざわざ外へ出てわざわざ向こうのノリに合わせ、話をしながら一時間弱も消費しなければならない。髪なんてある程度伸びればそのままで良いのに。糞面倒だ!伸びるなと言うのではなく、これ以上は面倒だから伸びるなよという話だ。

別の美容院も勧められたが、近場はどこもたいして変わらない。口数が少ないところならいいわけじゃない。居心地も合わない。これではそもそも行く気が薄れる。

文句を叩くようになってからはほんの少し軽くなった気がするが、失っているものもあるのだ。調子には乗らない。刻々と心だけでなく体も弱ってきている様子が窺える。

果てるのはいつだろうか。そんなことすら考える段階なのだ。自分で死ぬ勇気もない。殺されるか安楽死ならまだしも。じわじわと長い間時間をかけて死んでゆくのだろうか。正直、このまま楽に死ねるかもわからず、不安だ。先のことなんて想像は出来ても予想なんてできない。何もわからない。知りたいとは思わないが、どうすればいいのかも知ることができないから、もどかしくて苛立つ。

3/16

もう、あらゆることへの気力が湧かなくなってきている。好きなことですらどこかで煩わしさを勝ってしまうことがある。できるだけやる気のあるものはしていたが、面倒と感じては、おぼつかなくなるものだ。

それと余裕がなくなったからだろうが、少し気に障ることがあれば、その度苛立ちを感じる。チッと舌を鳴らしたり、一人でぶつくさと不平不満を呟いたり、ため息やだるそうな顔で頭を抱える。

家族への態度も最低に堕ちている。「もう、優しくて穏やかな長男はもう居ないのだ」という意を以前俺から伝えたほどだ。ここにいるのは、世界を嫌い、自分を卑下し、人を信じられず、どうにか自我を保ったまま、命をすり減らすことしか出来ない惨めな青年だ。

壊れた心はもうどうにもならない。自分までは見失わないためにと、口を開けば卑屈と愚痴を漏らして理性を維持し、少しでも、面倒臭さを感じないことや気が安らぐことをして安定させようとすることしか出来ない。もしかしたら、こんなことをしてる時点で自分のアイデンティティなど、既に絶えてしまっているかもしれない。

ああ、ふとすればたちまちイライラする。もうダメだ。

3/15

こんなことを綴り、嘆いているのに、なぜ誰かに相談も頼りもしないのか。

別に俺は決して今まで何もアクションしてこなかったわけではない。むしろ俺は自分の言葉で何度も心の悲鳴を迫真に伝えようとしたことがあった。でも、あらゆる人には理解されず、時にはわかったつもりの浅い回答ばかり返ってきた。ついには、息子の本気の言葉より、熱意も人間性も感じられないぽっと出の浅はかな方便を信じてそのまま返される始末。もう何も言うものか、そんな言葉は響かない。この世の摂理か人生観か知らないが、俺にはそんなもの気休めにもならない。

俺の思考や感情すらそれに否定された。一度言われただけでも印象深ければ、記憶に残り続ける。最終的に人に期待も信用もできなくなった。だから、相談もためらう。

人に聞いてもらうことも宥めてもらうこともなくなって、俺の中に心の傷と混沌とした負の感情が残って溜まっていく。それは心体ともにじりじりと蝕んで、さらに膨らもうとする。俺が一人で抱え込んで抑えるのは難しいと感じるくらい。耐えきれずおかしくなったり、爆発するのは時間の問題。どうにかできるとすれば、俺にしっかり向き合って俺のことを知って理解できる人か、ずっと人としての強さと人の痛みの分かる人か、あるいは神様みたいなものだと思う。

ああ、時が流れゆくほど徐々に希望が薄れていく。このまま、どうしようもなくなって誰かを傷つけてしまったりするくらいなら、砂漠の砂が風に吹かれ、誰の目にも止まらず、見えなくなるように、俺の精神ごとどこかに消えてしまいたい。今の俺はどのくらいの被害が及ぶかわからない爆弾だろう。

重たい。でも多分仕方がない。俺にはこうなるしかなかったような気がする。これ以外の道を選べた気がしない。最初からこんなこと大して考えないような自我で気楽に普通に生きていれば、こうはならなかったろう。でも、生まれたときから環境も俺自身も普通なんかじゃなかった。